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波乱万丈!マレーシア生まれ、13歳から日本で育ったStevenが、PMとしてベトナムで働くまでの半生を追ってみた

こんにちは!SHIFT ASIAでPFとPMOを担当しているStevenです。

現在は、年間予算数十億円のERPパッケージ案件のPFをやりながら、社内PMOとしてプロジェクトの標準化を推進しています。
※PM(プロジェクトマネージャー)を SHIFT ASIAではPF(プロジェクトファシリテーター)と呼んでいます。

気付けばベトナムに来てもう2年、SHIFT ASIAに入社してもう1年半になります。今回は、少し変わっている私のバックグラウンドと、どんな経緯でSHIFT ASIAに入社したのかについて書いてみたいと思います!


生い立ち ~裕福ではなかった~

(ほとんど父親と一緒にいなかった幼い頃、写真の真ん中が私です)

私は、マレーシアのマラッカ海峡にあるペナン島という島で生まれた中国系マレーシア人で、男3人兄弟の末っ子です。父親は自分が生まれる前に地元でたくさんのビジネスをやっていてうまくいった時もあったのですが、結果的にすべて倒産し大きな借金を課せられてしまいました。

私が生まれてすぐに父はいわゆる出稼ぎで日本に単身赴任し、一年に一度の旧正月の時にしか帰ってきませんでした。いつも最先端のゲームやおもちゃを持って帰ってきてくれる父は子供だった自分にとってヒーローのような存在でした。
※出稼ぎはビザなしで違法も多いのですが、父親はちゃんと労働ビザを取っていました。
※マレーシアに入ってくる日本のゲームやおもちゃは、だいたい数年遅れで値段も高かったです。

時々自宅に怖い人たちが押しかけてきて、お金を要求されるようなこともあり、決して裕福な家庭ではなかったのですが、両親の頑張りで3兄弟とも不自由なく、やりたいことをやらせてもらいました。いつの間にか怖い人も来なくなったので借金は完全に返済したと思います。両親ともだいぶ苦労したと思います。感謝しかありません。

私はゲームが大好きでしたが、兄の影響でボーイスカウトの活動にも参加するアクテイブな子供でした。


ターニングポイント ~想像もしなかった日本への移住~

(想像より遥かに進んでいた日本)

周りの同級生のように中学1年生まで地元で過ごしていましたが、ある日、父が地元に帰ってきた時に「お前、日本に行ってみたくないか?面白い国だよ。(中国語)」と言われ、家族を旅行に連れていってくれました。

翌年、また父から「日本いいでしょ。今度は日本に行って、もし気に入ったならそのまま日本に住んでもいいし、合わないなら帰ってマレーシアの中学校を続ければいいよ(中国語)」と言われ、一ヶ月ほど日本へ旅行に行きました。その時は、まさか自分が日本で暮らせる時が来るとは1ミリも思っていませんでした。

最先端のゲームやおもちゃ、先進的なテクノロジー、整備されたインフラ、日本は当時の私にとって憧れの国でした。ただ、友達と離れる寂しさがあり、「住みたい!」と即答できませんでした。

様子見の旅行の2週間後、父から「中学校に登録した!これ、制服!来週から学校ね。(中国語)」と。。。


(今やもう廃校になった中学校)

「いやいやいやいや、、、、、、様子見じゃなかったのかーーい。」「うそやーん。」と思いながらも、抵抗することもできず、ここから過酷な生活が始まるとも知らないまま翌週父が住んでいた家の近くの中学校に登校し始めました。父は倒産しても、日本で出稼ぎしてサバイバルしてきたので、子供への教育もサバイバル型なんでしょうね(たぶんw)。

それから私は、家族と4人で東京という大都市でワンルーム8畳の小さなアパートに暮らしはじめました。


中高時代 ~ニホンゴの勉強にのめり込む~

(ここからスタート)

この時点では勿論まったく日本語が喋れませんでした。とはいえ、英語でコミュニケーションを取れたため、「なんとかやっていけるだろう」と思っていましたが、そんなことはありませんでした。

皆と仲良くなろうとなんとか英語で会話をしようとすると、同級生から返ってきたのは苦笑でした。それまで、日本では英語教育は中学校からということを知らなかったんです。そこで初めて自分が勉強してきた英語がここでは活かせないんだということが知らさせました。その後、ドラマのワンシーンように体育館裏で暴力を振られたり、トイレの個室に閉じこまれ上から水を被せられるなどのイジメを受けることもありました。
※マレーシアの英語教育は小学生の義務教育からあり、多くの子供は幼稚園生から英語を勉強し始めます。


(誰にも言えなかった体育館裏での出来事)

正直、最初は非常に悔しかったですね。その時は、中国語と英語とマレー語を話せる自分が、なぜ日本語しか話せない同級生にイジメられないといけないのかと思いました。

しかし、日本で生きていくのであれば日本語以外の言葉を話せても意味がなく、日本語を上手に話さなければならないのだと気づきました。それから「日本語をめちゃくちゃ上手になって見返してやろう!」と気持ちを切り替えたのです。

日本語の勉強にのめり込んだ結果、1年後には同級生が受けているのと同じ国語のテストで平均点相当を取ることができ、高校受験も日本人と同じ一般受験しなんとか合格しました。3年を過ぎた頃には、なんとか日本語能力試験1級に合格することができました。

そして、次に待ち受けていた大学受験は自分にとって非常に難易度が高かったです。日本語は不自由なく使えるようになっていましたが、予備校の先生の話すスピードについていけなかったり、日本語で書かれた大学受験の問題を読解するのがどうしても遅く、非常にハンデを感じました。

結果的に浪人することにしました。しかし、お金はなかったので寝る間も惜しんで、バイトを2つ掛け持ちしながら予備校に通い、1日12時間以上勉強してなんとか一般受験で希望の大学に入りました。親には一切お金を出してもらいませんでした。


大学時代 ~インターンシップ(スタートアップ)~

(2011/3/11 忘れられることのない東日本大震災)

そんな感じで何かに追われるように過ごしていましたが、大学に入ってからは以前のように何かに没頭することもなく、周りと同じようにバイトしてサークルに行き、そして「単位を取る」ために大学に行くようになったのです。

それまでは、「日本人並みに日本語を操れるようになる!」との一心で必死に頑張ってきましたが、ある程度成果がでて、無事大学にも入れたことで、安堵すると同時に、いわゆる燃え尽き症候群のようになってしまったのかもしれません。

大学1年生の冬、東日本大震災がありました。私の住んでいた古いマンションはすごい揺れで、ビルが崩れ「このままもう死ぬかもしれない」とその瞬間は真剣に思いました。同時に、今のままで死んでしまうのは「絶対に嫌だ」と強く思ったんです。そして、「「単位を取る」だけの大学に行くために一生懸命に日本語を勉強したわけじゃない」と目覚めたのです。

この原体験から震災後、もっと有意義な大学生活を過ごすために、私は2つのことをしました。

(当時社員5人、8畳のオフィスでWantedly創業期のインターン生と代表の仲さん

1つ目はもっと社会を知るためにインターンシップをすることです。

色んな企業でインターンシップをした中で、特に Wantedly、trippiece、Studyplus など創業1~3年のスタートアップ企業で、ビジネスの面白さにハマってしまいました。

経営者の身近で働くことで、彼らから様々な価値観や広い視野を学べました。今まで考えたことがない世界を知ることができ、世の中には「仕組みが作れる人」と「誰かに創られた仕組みを活かして働く/生きる人」がいると理解することができました。

Wantedly は、従来の転職斡旋モデルを覆し、リーズナブルな価格で求職者と企業を直接的に繋げるプラットフォーム(仕組み)を作っています。

trippiece は、従来のツアーパッケージ型旅行を覆し、旅行者が行きたいところ・やりたいことをオリジナルに企画しインターネットを通して仲間を集める旅行の新たなスタイル(仕組み)を作っています。

Studyplus は、孤独になりがちで継続しない勉強を記録・可視化できる仕組みを作り勉強を共有できるソーシャルな要素を取り入れ、学習の形(仕組み)を変えました。今では、大学受験生の3人に1人以上が使う学習管理プラットフォームになっているそうです。

それに気づいてから自分は「仕組みを作る人」になりたいと思うようになったのです。


(trippiece創業期の社員やインターン生たち)

当時一緒にインターンシップをしていた仲間や、その時に参加したスタートアップ系のイベントで出会った仲間のうち、3割は起業していたりベンチャー企業で役員をやっていて、他も様々な企業で大活躍されていてとてもいい刺激になっています。


大学時代 ~東南アジアでバックパッカー~

(バックパッカーで訪れた、カンボジアのベンメリア)

2つ目はもっと他の世界を知るために旅に出ることです。

長期休暇を利用して、自分が生まれた地域である東南アジア(ASEAN)を訪れようと思いました。仲間を集め、東南アジアを1ヶ月で回るバックパッカー旅行に出かけました。その後、東南アジアの魅力にハマり、マレーシアはもちろん、シンガポール、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムを2回も回りました。

東南アジアはどこも自分が思ったより遥かに発展していて、その中でもベトナムはとにかく若者が多く、熱気が凄まじかったです。もし自分がチャレンジするなら、ビジネスにおけるマーケットとして、まだまだ成長余地が大きく、ポテンシャルが高いこのASEANで何かしらの仕組みを作り、成長に貢献したいという思いが込み上げました。


ソフトウェアテストとの出会い

(最初の仕事はオフィスの床貼り)

最初に就職した企業は、まさに"スタートアップ"で、ビジネス用のコミュニケーションツールを企画・開発している Oneteam (ワンチーム)という会社でした。

社長はこれから東南アジアにサービスを展開したい思いが強く、東南アジアでいずれ働くことを視野に入れて Oneteam への入社を決めました。創業期のメンバーは、みな30~35歳で大手や有名ベンチャーの最前線で活躍していたベテランでした。私は5番目の社員として入社しましたが、未だになぜ新卒の私が入社できたのか分かりません。今思えば、本当に採用していただいて感謝しかないです。


(上司と深夜まで働いたオフィス)

インターンシップで培ってきた業務経験と根性でなんとか上司や先輩に指示されながら仕事をこなしていました。良くも悪くも専門領域がなかったので、誰かがやらなければならないが手が足りなくてできないような業務が回ってきていました。

採用やカスタマーサクセスの仕事をやったり、イベントに出展・参加してリード顧客の創出する活動を行ったり、顧客のサポートなどを担当しました。その後、自社初の QA(Quality Assuarance、品質保証)担当として、エンジニアからプロダクトの仕様を把握して、テストケースを作成し、機能が仕様通りに正しく動作するか、ユーザーが要求しているように使えるかなど、様々な観点からテストを実行していました。

テストで見つかった不具合をエンジニアに報告し、その不具合が修正されるまで管理していました。また、カスタマーサクセスが顧客から拾った声を集約し、プロダクトチームに伝達する役割も補っています。


品質保証は未経験だったのですが、たまたま SHIFT (シフト)というテスト専門会社で働いている友人がいたので、何を勉強したらいいのかを聞いたり、勉強会に行ったりしました。(まさかこのグループ会社で将来働くことも知らず)

ソフトウェアテストは、一見とても地味に見えます。「バグを探しているだけでしょ」とよく思われます。しかし、実際にはとても深いことをやっていて、その中にクリエイティブな思考も必要です。なぜなら、そんなに簡単にバグを探し出すことができないからです。

どういう風にテストすれば限られたリソースの中で効率よく見つけたいバグを見つけ出すのか、顧客に期待される品質にできるのか、頭を使って考えないといけないのです。(一見地味ですが、この意外と難しい作業に、実はビジネスとしてのポテンシャルが潜んでいたことにこの時は気づきませんでした。)


ベトナムへ移住

(急成長するベトナム・ホーチミンの夜景を一望できる大好きな隠れスポット)

Oneteamで約1年半が経ったころ、この会社が東南アジアに進出する際に、自分も行けるかもしれないとは思ったものの、もっと早く東南アジアで働きたいという思いが捨てられず、たまたま知り合いの東南アジアの会社がSNSで人材を募集していたので応募しました。

トントン拍子で選考が進み、応募してから1ヶ月で私はベトナムへ移住していました。任されたのはベトナム人向けのIT人材の転職サービスの責任者でした。ベトナム語が全く話せず、初めてベトナム人の部下をマネージメントし、事業をドライブしていくことはかなり難易度が高かったです。とにかくトライアンドエラーで前に進もうと必死で、何度も事業計画とビジネスモデルを作り直しました。

半年が過ぎた頃、求められていることと自分の能力があまりにもアンマッチだったことに気づき、上司と話し合った結果、会社を去ることにしました。しかし、このタイミングで自分の力で事業を作っていくことにチャレンジができて非常に良かったです。事業を創る難しさ、自分の強みと弱み、これから伸ばさないといけない力が分かりました。


SHIFT ASIAとの出会い

(SHIFT ASIAオフィスのエントランス)

私はITエンジニアの転職サービスをやっていたので、ベトナムの日系IT企業でずばぬけて採用に力を入れていた会社があることを知りました。それが、SHIFT ASIA (シフトアジア)でした。Oneteamで品質保証を担当していた時にSHIFTを知っていたのでそのグループ会社であることはすぐに分かりました。

その時、まだ設立して1年未満だったのですが、すでに80人を超える社員が在籍していました。スタートアップを経験した自分には、それがどれだけ大変なことか容易に想像できたのですが、「どうやってこんな急激に従業員を増やしてたのか?」採用、仕組み作り、会社の売上や利益について非常に興味がありました。

日本語のネイティブ人材も募集していたので、Wantedlyでエントリーして話を聞いてみようと会社訪問したことはきっかけでした。


SHIFT ASIAに入社した理由

(直近のIR資料では、通期売上高127億円を達成。)
参照元: 2018年8月期 第4四半期及び通期決算説明会資料

インターネットの普及や技術の進歩により、世の中にはアイデアに溢れ、それをソフトウェア製品にしようとしている人たちが増えました。しかし、どんな優秀なエンジニアが開発したソフトウェア製品でも、最初は正しく動作しないものです。不具合があるまま製品を世の中に送り出してもせっかくのいいアイデアが台無しです。システムの不具合により情報漏洩で損害賠償を課せられたり、交通システムや医療機器の場合は命に関わることもあるのです。

SHIFT は、テストを通して高性能、高品質な製品が社会へ送り出される為の“最後の砦”として、製品開発において大変重要な役割を果たしています。地味で、意外と難しくてエンジニアがやりたがらないソフトウェアテストを愚直にやってきている SHIFT だからこそ、非常に高いポテンシャルを感じました。日本国内のソフトウェアテスト市場でトップシェアを取っている理由がよく分かりました。

そして、これから SHIFT がグローバルにビジネスを拡大していくタイミングで、自分がこの会社に身を置くことで会社と一緒にグローバルに成長していけると感じました。

ベトナムで品質保証の事業をやること自体がとてもチャレンジングです。日本人ではない私が客観的に見て、日本人は品質に対して非常に高い意識を持つ国民です。そのような品質への高い拘りが、日本の高度成長期を支えてきたと思います。そのジャパンクオリティの大切さをベトナム人メンバーを伝え、彼らとともに事業を拡大していくことは非常に難易度が高いことゆえに、やり甲斐があると感じています。


一緒に働きませんか?

現在、 SHIFT ASIA ではプロジェクトマネージャー、プリセールス、自動化エンジニアを募集しております!少しでも興味がある方はぜひお話をしましょう!

※Wantedly経由でエントリーしていただくか、個人的にご連絡いただいても構いません。

SHIFT ASIAs Stellenangebote
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