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【事例紹介#6】落ちこぼれの入社2年目女子が大手建材メーカーS社の技能コンテスト世界大会をまるごとプロデュース

企業によって、抱えている問題はさまざま。JBAでは、そんな企業の幅広い悩みに対し、ブランディング、広告・マーケティング、広報PR、人材育成など、幅広い解決策を提案・企画し、実行まで支援しています。

だから、JBAって何やってるの?って言われると、ちょっと答えづらい。だって、お客様によって、提案することが全然違う。一言で、「○○する会社です」って言えないんです。

…とは言え、外から見ると何をやっているのか分かりづらいのも事実。求職者の方からも、「何をやっているのかよくわからない」なんて声が多く寄せられていました。

一言では、言い表せない。けれども、JBAのことをもっと知ってほしい。

なので、事例紹介をすることにしました。

 とある企業が抱える課題に対し、JBAが何を考え、どう行動したのか?そしてそれが、企業にとってどのような効果をもたらしたのか?実際にプロジェクトに携わったコンサルタントが、やりがいや苦悩、自らの仕事観に至るまで、赤裸々に語ります。

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第6回は…

落ちこぼれの入社2年目女子が大手建材メーカーS社の技能コンテスト世界大会をまるごとプロデュース

こんにちは、JBA入社5年目の大岡です。学生時代は、小学校から大学までソフトボールに打ち込みました。はじめたきっかけは実に単純で、かっこよかったから。私は元々、負けん気が強い子でもなかったし、ソフトボール一筋だったわけではありませんでした。でも負けるのは悔しくて、もっと上手くなりたくて、ドロドロになりながら練習し、自分の打った球が野手の間に抜けていくのが楽しくて、どんどんハマっていきました。大学時代はソフトボール部のキャプテンを務め、ピッチャーで国体の選抜選手に選ばれるまで情熱を捧げていました。私はエリート校を出たわけでもなく、スーパー選手でもありませんでしたが、成果への憧れは人一倍強く、そのための努力もできていたと思います。大学4年生の秋まではソフトボールしかしておらず、就活を始めたのはそれから。JBAなら、熱中できる環境と、ともに上を目指していける仲間が得られるはず、そんな考えで入社を決意しました。

しかし1年目はミスばかり。実績も作れず、同期の中でも断トツで落ちこぼれでした。なぜ、バリバリの体育会系で活躍していた自分が落ちこぼれたのか、私なりに分析してみたいと思います。学生時代は、○○高校に勝つ、全国制覇など、目標が明確にあり、その目標があるからこそ辛い練習にも耐えられました。むしろ、試合に勝つための練習だと分かっていたので、練習も楽しかったのです。また、辛い練習を乗り越えてきた仲間がそばにいたからこそ、一緒に目標を達成したいと頑張り続けることができました。一方で社会人になると、何を目指していいか分からなくなりました。何が成果なのかも分からない、今やっていることが何に繋がるのかも分からない。怒られてばかりの毎日。やっぱり身体を動かす仕事の方が向いてたかも…そう思い始めていました。そうこうしているうちに同期はどんどん先に進んでいきます。自分は褒められることもないし、やる気も出てこない。落ちこぼていく一方でした。

そんなときに最大の転機となったのは、「もう後がないぞ」という先輩からの痛い一言でした。「1年目が入ってくるのに、大岡がこの一年間で残した成果は何なんだ」そう聞かれて、私は何ひとつ答えられませんでした。しかし、先輩は私を見捨てたわけではありませんでした。落ちこぼれで、何も分からず何もできない私に一つひとつ丁寧に教えてくれました。すると少しずつ褒められる瞬間が出てきたんです。そこでまた先輩に相談して言われた通りにやると、お客様がもっと喜んでくれるように。その繰り返しをしているうちに、お客様に褒められる回数も増え、ちょっとずつ仕事が軌道に乗ってきました。そんな矢先に任されたのが大手建材メーカーS社の子会社Sa社の社内向けマガジン。今回の事例紹介は、ようやく落ちこぼれからの脱却を図りはじめた2年目の私からスタートします。

お客様の期待を超えるべく、50名の顔と名前を覚えて取材に挑む

S社グループは、建材メーカートップクラスのグローバル企業。グループ全体で5万人の従業員を抱え、その8割が海外。年間の売上も1兆円クラス。日本ではシェアNo.1で世界でも展開する超大手企業です。

はじめに取引がはじまったのは、S社グループの子会社Sa社。2015年に受注し、年4回発行の社内向けマガジンを担当することとなりました。転機となったのは、1つの特集。Sa社の社員のスキルを競う技能コンテストを社内報で取り上げるから、取材をしてほしいという依頼でした。多くの優秀な社員に関われるのは、JBAにとっても情報を集め、信頼関係を築ける大きな機会。密着することに決まりました。



これは落ちこぼれから脱却し、自分の実績を作るまたとないチャンスだ。お客様の期待を超えてやろう。そう考え、事前にどのシーンを撮影するかを全て決め、当日は、選手50名の顔と名前を全て一致させて臨みました。いくつもある競技会場を駆け巡る、超ハードなスケジュールをでしたが、結果は大好評。「大岡さんは全部覚えてて、押さえてくれている。すごい。」担当者さんからはそんなお褒めの言葉をいただきました。

大会の日は、グループ親会社であるS社の担当者さんが見学されていました。その場でSa社から、「大岡さんは何でもできるんですよ!」と大絶賛で紹介していただいたんです。すごく嬉しかったですね。S社の担当者さんからは、「うちも動画をつくろうと思っているんです、また相談します」と声をかけていただきました。これが、S社とのファーストコンタクトでした。

プレゼン直後に、「御社に決めます」の一言。

まもなくしてSa社の社内報の特集が無事終わり、親会社のS社から「32か国から技術者を集めて技能コンテスト世界大会を開催する。動画をつくるのにコンペをするから、オリエンとして一度本社に来てくれないか」とのお声がかかります。超大手企業から舞い込んできたチャンス。JBAの中でもざわつきました。

私たちはオリエンに伺う時点で、S社のことを調査し、さらには他社の技能コンテストの事例を調べつくしていました。S社からは動画1本のみの依頼でしたが、「せっかく世界トップクラスの技術が集結するのだから研修にも活用できるといいですよね」「日本だけでなくグローバルに展開できるといいですよね」と先手を打って提案。S社からは、「分かりました。動画に限らずいろんな提案を持ってきてください」と後押しされました。

それから、全体のイベント進行シナリオの設計から、前夜祭の企画、当日のイベント運営とその後の懇親会、コンテストのシンボルであるロゴマークから、タペストリー、ゼッケンに至るまでお願いされている以上のあらゆる提案を準備しました。もちろん本題の動画についても、シナリオを全て練り上げてコンペに臨みました。

いよいよコンペ当日。S社の本社の会議室。担当者さんが2人座っていらっしゃいました。動画以外にも技能コンテスト世界大会の周辺に至るまで全部プロデュースしたい。緻密な計画を提示し、私たちの熱い想いをぶつけました。

忘れもしません。プレゼンが終わって、「はい、分かりました」と一言。担当者さん2人が顔を見合わせて頷きあい、「御社に決めます」と言っていただけたんです。最善の準備をして臨んだものの、まさかその場で受注できるとは思いもよらず。プレゼンに同行していた上司2人とともに、大興奮で帰り道にビールを煽ったことを覚えています。全社を挙げて必ず大成功させよう、そう決意しました。

ダイジェストムービーでの担当者さんの涙

S社はおもてなし精神が強い非常に会社です。ゴルフコンペがあれば、凝った招待状を送り、豪勢なパーティーをし、家に帰る頃にはお花を届ける。社員たちにおもてなしの文化が根付いています。S社が本気なら、JBAはもっと本気で。お客様の期待を超えるパフォーマンスをしたい、その一心で準備を進めました。

とはいえ、準備はとても大変でした。ほかの案件も抱える中で、2年目で手にした初の超大型プロジェクト。天下のS社の重要なコンテストを、リーダーとしてまとめていかねばならないプレッシャーはすさまじいものでした。さらに作業量も膨大。当日のシナリオを詰めながら、動画やパンフレットといった制作物一つ一つのチェック、ロケハンにも行き、会場のレイアウト検討まで、やることがすごく多かったんです。特に大変だったのは同時進行のスケジュール。Sa社の何倍もの緻密さでした。落ちこぼれだった自分がスムーズに進められるわけもなく、やることすべてが大きな壁。時間ばかりが過ぎ、焦りが募る一方でした。当日までの2か月の間は本当に追い詰められ、夜になると眼前に砂嵐が見えるほどでした。担当者さんやチームリーダー、15人のチームメンバーに怒られながらも、支えていただき、なんとか駆け抜けられたのだと思います。

そして万全の準備を整えてホテルに戻った前日の夜。ふと、「もうちょっとやれることがあるんじゃないか」と思い立ちます。パーティーでパンフレットに添えておく折り鶴をつくろう、と閃いたのです。人数は80名分。メンバーに「ちょっと折り鶴手伝ってほしいんだけど」と相談しました。誰一人、嫌な顔をせず「いいっすね!」と超乗り気。皆、連日の準備でくたくたのはずなのに。いいメンバーに恵まれたなと感慨にふけりながら、深夜にホテルのロビーで机を囲み、鶴を折りました。



当日の朝、担当者さんに折り鶴をおきたいと相談。すごく喜んでいただきました。パーティーの場でも大絶賛。細かいことだけども、本当にやってよかったと思いました。

技能コンテスト世界大会当日も、トラブルはいっぱいありました。あの人の撮影ができていないんじゃないか。あちこちでそんな言葉が飛び交い、現場はまさに戦場でした。もうそこには、JBAの仕事だから、S社の仕事だから、という壁は一切ありませんでした。みんなの気持ちは一つ、「One Team」でした。どうすれば参加者のみなさんに喜んでもらえるだろうか、それだけを考えて行動していました。


そしてすべてのプログラムが終わった後のセレモニーで、ダイジェストムービーを流しました。担当者さんの目からは、涙がこぼれ落ちました。技能コンテストは、担当者さんが海外駐在経験を通し、社員の育成の場が必要だという問題意識から発案されたものでした。それから10年もの間、企画を練り続けようやく実現までたどり着いた思い入れの深い大会です。通常業務もある中、プログラムの構成からホテルの手配まで、何から何までほぼ一人でこなしていました。なおかつ、技能コンテストは相談役も出席するほどの大舞台となりました。S社が今後グローバル規模でサービス部門を強化するためには、絶対に失敗が許されない場であり、プレッシャーも凄まじいものだったのではと思います。全てを終えて映像を見る担当者さんは、やり切ったという表情でした。「ここまでこれたのはJBAさんのおかげです、心から感謝しています」そんなありがたい言葉をいただきました。

私もその言葉を聞いて、涙が溢れだしました。私たちJBAが関わる前から、コンテストに向けて準備してきた担当者さん。その苦労を考えると私たちがやったことはほんの一部にすぎません。担当者さんの想いを実現するための手助けができたことに、大きな喜びを感じました。私にとってはむしろS社に感謝したいくらいでした。素晴らしい機会をいただけて、感動の瞬間に立ち会えたこと、こんなにありがたいことはありません。今までの大変だった時間はすべてこの瞬間のための準備期間だったんだ、そう感じました。あの時の感動を思い出すと、今でも涙が出そうです。

さらに、その場で翌年開催される技能コンテストの国内大会を受注しました。次の年も前回を超えようと奮闘し、熱が冷めないままプロデュース。こちらも大絶賛でした。S社にとってなくてはならない存在になり始めていると実感しました。

海外のプロデュースも任される存在を目指して

今後は日本で始まった取り組みを海外に展開していきたいと考えています。技能コンテストでの経験から、いくつか海外の案件もお願いされていますが、まだ海外のプロデュースを任されるまでにはなっていません。グローバル展開をするS社の技術をさらに高めていくためには、もっと海外での取り組みを強化する必要があります。一発花火ではない、さらに強固なお付き合いをしていくことが目標です。



いかがだったでしょうか。当時23歳。入社2年目で同期では断トツの落ちこぼれ。そんな小娘が超大手企業を相手にイベントプロデュースを受注し、やり遂げ、感謝されました。その勢いで落ちこぼれ女子は、JBAの最年少リーダーに選ばれるまでに成長したのです。JBAはやろうと思えば何でもできる環境です。今後も目の前のお客様のために精一杯努力し、世界中から求められ、活躍し続ける女性リーダーを目指していきます。

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