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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

Company

エステーの特命宣伝部長は、「エリート」ではなくビリから 4 番目の「ボンクラ」だった?

「消臭力」「米唐番」などヒット作を次々と生み出す宣伝部長・鹿毛さんの紆余曲折

2016/10/06

リスボンの街並みを背に少年・ミゲルくんが「ラ〜ラ〜ララ〜♪」と澄んだ声で歌いはじめる「消臭力」のCM。震災間もない 2011 年 4 月から放映開始された、誰もが知るこのCMには得も言われぬ強烈なインパクトがありました。

しかし、この「インパクト」という言葉。エステーの宣伝部長としてクリエイティブ・ディレクションを担い、次々とヒットCMを生み出し続ける鹿毛 康司(かげ こうじ)さんが「制作の現場」で使用を禁止しているワードの 1 つです。

鹿毛さんは大手メーカー「エステー」の宣伝部長でありながら、自らその「制作の現場」にも入り込みます。けっしてCMの「発注者」「クライアント」としてご自身が受け身であることを良しとしません。多くの企業と異なるスタンス。

「なぜ、業界の常識を破り『制作』にまで携わるのですか?」

そんな私たちの最初の質問に、鹿毛さんは、

「嬉しいことにつくってきたCMは日本でトップ10に選んでいただいた。 たしかにクライアントが制作に入っているのは、めずらしい関わり方だと思うよ。でも、その考え方は『この仕事は、この職種の人がやる』なんてすごく凝り固まってるんじゃないかな?仕事に関して、実はあなた達が常識に縛られてるんじゃないの?!」

そんなふうに、冒頭から気持よくブチかましてくれました。

「 133 万の男」の働き方

エステー社が広告にかける費用は、その他大手企業と比較すると多くはないと言います。「 3 倍以上の広告費を使っている」という他社と、月に 4,000 種類は放映されるというCM戦場で戦わねばなりません。そのためには工夫が必要でした。

「かけられる金額が違うんだもん。年間 80 億円をつかう企業だってある。これを労働時間で割ると、1 時間に 400 万円の価値があるからね。制作する側にとって打ち合わせの 1 時間が 400 万円利益につながる取引先がたくさん居るなかで、うちはその 1/3 。だから俺は 『 1 時間 133 万円の価値の男』なのよ(笑)不利なことももちろんある。でもそれは代理店にしても財源があるわけだから、仕方のないことだよね。だから頭をつかわないと!」

そして、「インパクト」といった抽象的な言葉では語れぬ、鹿毛さんのこだわりは「お客様に喜んでもらうために企業はある」「お客様に喜んでもらうためのCMを届ける」という強い思い。それらを実現するためには、なんとしても鹿毛さん自らも「制作現場」に足を踏み入れる必要と必然性があったのでした。

「もちろん広告会社や制作会社の人たちプロの力は必要だし、そこに『リーダーです』だなんて入っていくつもりは全くなくて、あくまでお邪魔させてもらって『僕にもやらせてくれない ? 』ってことだね。現場に参加させてもらって、時には『ごめんね、監督なんかやっちゃって』『ごめんね、曲なんかつくっちゃって』というつもりで彼らといっしょに仕事をさせてもらってる。仲間に入れてもらってるってことです」

企画アイデアからコピー制作、音楽の制作と幅広く手がけ、完成したそれは「CM好感度ランキング」で常に上位。あまりの優秀な「なんでも屋」「オールラウンドプレーヤー」ぶりに驚かされるばかりです。

「よく言われちゃうわけ。『特別な才能を持ってんだよ』とか『エリートなんだよ』だとか。声を大にして言いたい、ちっともエリートじゃない !! (笑)

しかし、こう付け加えてくれます。

「ただ、下準備だけは誰よりも一生懸命するようにしてるよね」

宣伝部長兼クリエイティブディレクター鹿毛 康司さんの、その下準備(伏線)を順に伺っていくことにしました。

高校時代は「 ビリから 4 番目の男」

鹿毛さんが生まれた福岡県の飯塚市の筑豊は、人口 7 万人の炭田の町。

「田舎ですよ。外国人なんて見たことがないような。そこで高校生まで坊主頭で過ごしました。450 人いる高校だったんだけど、成績が上位 3 番目ぐらいだと早稲田・慶応クラスの大学に入れる。上位 10 番目ぐらいは浪人したら早稲田・慶応に入れる。100 番目ぐらいだと地元私立大学に入れる。200 番目だったら短大に入れる。300 位以降は就職しなさい、とずっと言われていたんです。俺は成績が悪かったのよ。当時は柔道・剣道が全国 1 位だったりする質実剛健の高校でした」

ー 鹿毛さんは柔道部ですか?剣道部ですか?

「俺は水泳部!(笑)勉強の成績は 450 人中447番 ! サボってばっかりのボンクラだったのよ。高校 3 年のときは、クラスメイトに『鹿毛!お前数学 0 点だったから、廊下に貼ってやった ! 』なんて言われて探しに行ったら、1 年生の廊下に回答用紙が貼ってあるのよ。みんなに笑われてたね」

そして当時 447 位の鹿毛さんは「浪人」の道を選ぶことに。

「大学にどうしても行きたいっていうわけじゃなく、なんにも考えてなかった。そんな田舎のボンクラが浪人すると、1 年目は遊び狂うわけですよ。何をして遊んでたかっていうと、車買って遊びまわってた(笑)爺さんに『お前、就職しろ ! 』って言われて、それならもう1年だけ今度は勉強を頑張ろうと 2 浪目は徹底的に勉強しました。朝から晩まで歴史の教科書とか英語の単語とかは死ぬ気で覚えたの」

そして、猛勉強の末に鹿毛さんが入学したのは早稲田大学商学部だったのでした。

広告と出会った「要領だけがいい男」

「浪人して入ったはいいけど、びっくりしたの。早稲田大学って優秀な大学なんだよ(笑)現役で入ってる6割ぐらいの人たちが、すんごい頭いいんだよ。地頭が全然ちがうの、ボンクラの俺とは。向こうは遊びながら90点、俺は60点なんだもん」

またもや、成績不良学生となってしまった鹿毛さん。2 年生では、その成績の順位で「ゼミ」が決定してしまうと言います。しかし、鹿毛さんのある行動がその身を救ってくれるのでした。

「誰でも入ることのできる英語のゼミに 1 年生から入ってみたの。先生に『幹事する人 ! 』なんて言われりゃ『はーい ! 』なんて手を挙げて、その先生とめちゃくちゃ仲良くなったんだよね。それで 2 年生を迎えて、俺が入りたかったのは『広告』のゼミ。すごい難関で、1 年生の時の成績が全部『優』じゃないと入れないの。俺なんて『良』と『可』ばっかりだから話にならない。でも面接で教授に『鹿毛くん、君は成績が悪いんだよね。だけどね、教授推薦だからね』って。さっきの英語の先生が推薦してくれたわけよ!」

「要領」で勝ち取る力に優れた鹿毛さんの鮮やかな一手でした。そして、そこで鹿毛さんは『広告』に触れます。

「ボンクラが偶然にも早稲田大学に入って、偶然にも人気ゼミに入って、楽しいことができた。要領ばっかりできたんだね(笑)」

振り返りご自身をそう笑い飛ばす鹿毛さんですが、後にCM制作で大いに活かされることとなるコピーの勉強や映画の研究、そして現在もライフワークとされている音楽(当時はバンド活動)に勤しんだのも、このころでした。

雪印に入った「運のいい男」

しかし、そんな楽しい毎日のなか鹿毛さんの悪い癖が顔を出します。

「俺はまた遊び呆けちゃったのよ(笑)みんなが就職先を決めてくんだけど、ボンクラの俺は広告のゼミだったのに広告関連の会社は全部落ちて。困ったなー、と思ってたときに思い出したわけ。『そうだ!広告ゼミで勉強した課題があった ! 』と。それが、雪印乳業(現:雪印メグミルク)の研究だったの。しっかり研究してたもんだから、運よく雪印に入れました(笑)」

運よく、要領よく、今度は大手食品メーカーに入社した鹿毛さん。しかし、待ち受けていたのは予想外の「ワインの販売」という仕事でした。

「びっくりした。『大阪支店に行って、ワインを売ってください』って言われて。百貨店で『いらっしゃいませ』なんて言ってワインを売ることになったんだから。8 年ぐらい、酒屋を3000 件ほど回ってたね。『このままでいいのかな ? 』というのは思いながらも社長表彰は何回ももらった。一生懸命やってた。やってたけど、『この仕事、好きか ? 』って自分で考えると、そうでもないんじゃないかと思えてきて」

そして、そんな鹿毛さんが興味を持ちはじめたのは「MBA(経営学修士)」でした。

「申込用紙さえ読めない男」がMBA取得へ

「友達から『MBA』ってものを教えてもらったの。彼はアメリカに行ってMBAを取ってて。俺はなにも知らないから、『なんだ、そのマウンテンバイクは?』なんて言ってたんだけど、興味を持っちゃって。でも、『お前には無理だ』って言われるわけ。『だってお前、俺のカンニングしてたじゃねぇか!』だってさ(笑)たしかに勉強もできてなかったし、外国人すら見たことがなかったからね」

しかし「広告」への夢を諦め、自身の仕事にも「これでいいのか」と悩む日々。そこに変化を求めていた鹿毛さんにとって、「MBA」はなにかヒントを与えてくれそうな関心事となりました。

「だけど、アメリカでMBA取るにはまず『TOEFL』を受けなきゃいけなかったの。大学院合格には最低でも 80%以上取らなきゃならない関門だったんだよ。申込用紙さえ、すべて英語で書いてあるの。俺は読めないから、事務局に電話した。『これ、なにが書いてあるんですか ? 』って(笑)そしたら事務局の方が親切丁寧にこう言ってくれたんだよ『お客様、この申込用紙がわからないということはTOEFLを受けても答えられないと思いますよ』って。実際に、リスニングも何もわからなかった ! 」

しかし、この目標を諦めることはしませんでした。得意技を使えぬと知った鹿毛さんの、ここからの努力は大変なものだったといいます。

「これは自分自身の『改革』ぐらいのことをしないといけない、と思ったのよ。そこで思いついた。『そうだ!営業車に毎日 5 時間〜 6 時間ぐらい乗っているから、その間に何年間もリスニングしたらどうなるかやってみよう』と。それで 3 年間ずっと移動する営業車の中で英語のリスニングしてたの。そしたらね、馬鹿でも聞こえるようになったんだよ。今度はしっかりと点数をとって、晴れて向こうのMBAの大学院に合格するわけですよ」

「本物」の努力の末、こうしてMBA取得の道を自ら開いたのでした。

今では、グロービス経営大学院大学で准教授も務める鹿毛さん。ビジネスマン向けに教鞭を執る姿を、高校時代の鹿毛さんは想像したことなどあったでしょうか。

「いろいろ伏線になってるから、おもしろいよね」

成功は「選ばれたエリート」だけのものじゃない

「ね ? 全然エリートなんかじゃないでしょ。いつも『ボンクラなできない男』からスタートしてるの。運は良かったかもしれないけど『やってみよう』って動いてるのはいつも自分。でもやっぱり大学時代から、広告の仕事がしたいと思っていたし、コピーの勉強もしたし、黒澤明の映画をコマ送りで全部研究したこともあった。音楽をやっていたのもそう。『なりたいもの』『やりたいもの』の下準備はできてたんだね。『こんなことがしたい』って価値観を追求していれば、必ずチャンスはやってくる。ただし、準備はすること。トライはすること。なーんてね」

けっして「選ばれたエリート」として、順風満帆な道を歩み簡単に成功してきたわけでない半生を、鹿毛さんは楽しそうに語ってくれました。ただ鹿毛さんには「やってみる」ことに貪欲であるという大いなる才能がありました。そしてそれらはすべて、いまにつながる「下準備」となったのでした。

しかしまだ、学生時代から憧れた「広告」の仕事にたどり着くには少しばかり時間がかかります。

ー 海外に渡り、経営とマーケティングを学んだわけですよね?

「頑張らないと退学させられちゃうもんだから、31 歳から 32 歳までそこで真剣に勉強したよ。帰国して雪印に戻ったころの数年間は『俺は、もう何でもできる』なんて気分になってたわけ(笑)」

しかし、そんな鹿毛さんを待ち受けていたのは 2000 年の雪印集団食中毒事件でした。ここで、2 年間の学びである「ブランド論」や「経営の在り方」という考えを大きく改めることとなったと言います。そして、いまの鹿毛さんを占める考え方の骨子・骨格と強い思いが形成されることとなったのでした。

後編では、その事件から「広告」の仕事へと向かう鹿毛さんのターニングポイントと、考えの軸となっている「企業とは」、そこから導かれた「エステーという会社を選んだ理由」について迫ります。

後編▶企業は「お客様に喜んでもらうため」にある。その価値観の追求が、仕事や仲間と巡りあわせてくれるキーになる。

Interviewee Profiles

鹿毛 康司
エステー株式会社 執行役 宣伝担当 兼 クリエイティブディレクター
1959年 福岡県生まれ 1984年 早稲田大学商学部卒業後、雪印乳業株式会社に入社 1993年 米国ドレクセル大学MBA取得 2003年1月 エステー化学(現 エステー)入社 宣伝部部長 2012年4月 執行役 宣伝部部長 2013年4月 執行役 宣伝担当 2016年5月 執行役 エグゼクティブクリエイティブディレクター 広告宣伝をコミュニケーションととらえて調査・制作・メディア計画・ネット展開までを統括する。「消臭力」CMに出演し、話題を呼んだMarMee(ミゲル&さくらまや)のエグゼクティブスーパーバイザーとして作詞を手掛けるほか、自ら作曲&監督した脱臭炭CMはCM好感度ベスト10入りを果たすなど、クリエイティブディレクター役もリアルにこなす。 マーケティングの理論と感性の両方をもつ稀有な存在。ネット展開にも精通し、世界的カンファレンス「Ad-tech」のベストスピーカーに度々ランクインする。 著書:『愛されるアイデアのつくり方』(WAVE出版、2012年5月8日)

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